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April 02 上海・外灘風景 200903,Waitan,Shanghai久しぶりに、観光客の流れに混じって、南京東路を歩き、改修工事中の和平飯店から外灘へ向かいました。
中山路は工事中でしたが、活気あふれる上海の雰囲気はそのままでした。
フォトアルバム「上海・外灘風景」追加しました。ごらんください。
上海の桜 200903,Xiangyang Garden, Shanghai上海の公園でも桜のお花見ができます。木の本数は少ないですが、上海人にも愛されています。
今回は、淮海中路の襄陽公園の奥にある桜をご紹介します。
フォトアルバム「上海の桜」追加しました。ごらんください。 襄陽公園の敷石を原稿用紙代わりに書法家のオジサン、達筆です。
公園の奥へ歩いてゆくと、満開の桜の木が出迎えてくれました。
February 04 中国の年末年始風景--2008.12.24~2009.01.5May 06 上海-芷江中路、虹口公園、魯迅故居-2008044月29日(火)、今回最後の針治療を受けるため、早朝6:30にホテルを出て、中医医院総院のある芷江中路へ向かいました。
早朝の中山公園前は朝靄がかかっています。もうすぐ五月一日の労働節が来るので、街の五星紅旗も色鮮やかに見えます。
地下鉄の高架に掲げられた大きな広告が目を引きます。
「爱,字可以简化,爱岂能无心!亲,亲人常见方亲近,再忙也需常回家见见亲人!」
“爱”、文字は簡略化できても、愛から心ははずせない!(簡体字では心を略して“爱”)
“亲”、家族はいつも顔を合わせているから身近に感じられるもの、忙しくとも家に帰って家族と顔を合わせよう!(簡体字では見を略して“亲”)
簡体字の特徴を逆手に取った、公共広告だが、生活レベルを上げるため、朝早くに家を出て夜遅くまで働き続ける上海人や遠く家を離れ外省からやってきた出稼ぎ労働者たちの眼にはどう映っているだろうか。合理化と発展のために心を外し、人間関係も簡略化してしまうと、なかなかそれを取り戻すのは難しそうだ。
7:30、中医総院に到着して、難病治療の針灸科へ。ここには顔見知りの病友の顔は見あたらず、受け付けのやり方を待合室の患者さんに教えてもらいました。診察室に入ると、医師が「おう、来たか」と出迎えてくれました。ここでは、助手なしで一人で診察と治療を行なっていました。患者さんの数も少なく、念入りに治療をしてくれました。治療の後、医師の手も空いたので、しばらく治療方法や日本の中医と西洋医診療の連携などについて話をしました。針を打たれている他の患者さんが、「お前も先生に就いて勉強して自分で針を打てばいいよ」と言うのを聞いて、張医師は「わたしは他のところは自分で針を打つが、目だけは自分で打てないから、近視がひどくなってきても治せないよ」と笑っていました。「本を読まないことがいいが、そういうわけにも行かないからね」。「お前も今度来るまで目を使わないようにしろよ、でもむずかしいな」と言われて、笑うしかありませんでした。
翌日帰国するため、先生に鄭重に御礼を申し上げ、夏に来ることを約束し、病院を出ました。
9:30、朝食を取らずに来たので、何か食べようと通りを伺っていると、「秦記湯包」の文字が目に入ってきました。早速入って、「干貝鮮肉小籠包」一籠8元を注文。これまで食べた湯包の中では一番美味しく感じました。
地図を見ると、地下鉄の駅も遠く、バスも不便なので、道を尋ねた交通警察のお巡りさんが言っていた15分で虹口公園へ行けるという言葉を信じて歩き出しました。
朝の針治療で、ずいぶんと疲れていましたが、昨日行った孫中山先生故居の印象が強く、今日は是非とも魯迅記念館と故居を尋ねたいと思っていました。
夏を思わせる日差しと上昇する気温の中、虹口公園にたどり着くと、きっかり十五分でした。
門を入ってすぐの広場は、ウェディング関連の展示会場になっていて、華やかな雰囲気でカップルや年配の夫婦が見学していました。
正門入って右手、少し奥まったところに魯迅記念館があります。入館料を支払おうと受付へ行くと、チケットを一枚くれて「今は無料で見学できます」という。「え!」「上海では、上海博物館と魯迅記念館とほか二ケ所で無料開放していますよ、無期限で」。なんと、今年の三月からはじめたらしい。
館内エントランスで出迎えてくれた魯迅先生の銅像の前で、写真を撮っていた女学生らしき二人連れに頼んで、魯迅先生と記念撮影。昨日の孫中山先生の写真とともに大事にしまっておくことにします。
ここでも、あまり眼を酷使できないので、魯迅先生の世界を身体で感じさせてもらいました。懐かしい映画のビデオ上映もあり、音で感じることもできました。
記念館を後にして、魯迅先生のお墓へ。約二十年ぶりの再会です。お墓の前に広がる芝生の広場は、以前通れたのに今は柵で囲ってありました。墓前の魯迅先生の銅像は、依然として雄大な中国の大地と未来を眺めるかのような眼差しでしたが、すぐ隣に虹口サッカー場の大屋根が迫り、ちょっと迷惑そうでした。
銅像奥のお墓には、鮮花が供えられていましたが、両脇の木陰の腰掛けに、近所のご老人らしき人が数人涼んでいるばかりで、人影もほとんど見あたりません。銅像まで来たカップルも写真を撮ると帰っていきました。
そのまま虹口公園を横切って、東門から山陰路へ、かつて日本人居留区になっていた地区で、今も建物が残っています。これも二十年ぶりです。
一角の魯迅故居へ。入館料を支払うと、警備のおじさんが帽子をかぶり身支度を整えながら、「わたしが案内してやるよ」と言って、故居の鍵を開けてくれました。以前と同じように、魯迅先生生前のままといわれる室内を身体で感じながら、二階、三階へ。外からはわからないほど、中はひろく感じられました。
今回は、針治療のほかにもずいぶんと収穫がありました。が、ずいぶんと疲れました。
この日は、昼過ぎに部屋へ戻ると、そのまま横になり、気付いたら夜になっていました。
人気ブログランキングへ→参加中 上海-瑞金路、思南路、孫文先生故居-2008044月28日(月)、瑞金路にある中医医院文献館門診部で午後から治療を受けるため、早朝、受け付けの番号札を取りに出かけました。これまでは、友人の叔母さんが瑞金路に住んでいるので、お願いして番号札を取りに行ってもらっていました。今後のためにも自分で体験しようと、早起きしてやって来ました。7:30に到着し、もらった番号は20番。後で8:00に来た病友に聞いたら、28番と言っていたから、みなさんずいぶんと早くに来ているようです。あまり遅く来ると、その日の治療人数に限りがあって、番号札をくれないということでした。
番号札が取れたので、近所の永和大王で、豆乳、油餅、小籠包の朝食セットをいただきました。そのあと、朝の散歩に出かけました。
瑞金路を北上して香山路を東へ思南路に突き当たるとそこに孫中山先生の故居と記念館があります。時刻はまだ8:40なので、入口から孫文先生の銅像だけ写真に撮ろうと入っていくと、警備の女性が近づいてきて、「見学したいか?」と聞くので、「まだ早いでしょ」というと、「いま、人を呼びにやるから、すぐ入れるよ」と言ってくれました。1988年に一般公開されてから、わたしの記憶では、中を見たことが無かったので、待つことにしました。すると、彼女はにこやかに、「今は人が少ないから、銅像の前で写真を撮ってあげましょう」。私はめったに写真に納まらないが、記念に一枚。
警備以外誰もいない館内で、ずいぶんと時間をかけて見学することができました。館内は薄暗く、わたしの目には、けっこう負担がかかりましたが、単眼鏡を取り出して見始めましたが、眼痛が始まり出したので、ボーと眺めていましたが、歴史の経過とともに、医師から革命家への道を歩み出す孫文先生の生涯に想いを馳せることができました。
記念館を出て、裏の故居に入ると、まず、靴の上からビニールの袋を履かされます。家の中は、やはり薄暗く、幾度と足をひっかけましたが、それを見ていた警備の人が、「見えないなら来ても仕方ないなー」と言いながら、部屋の様子を説明してくれました。これも早起きの得でしょうか。
室内だけでなく、階段の踊り場にも本の背表紙の写真が貼られた書棚が置かれ、中国古典の叢書類や英文書籍で埋まっていました。偉大な革命家は、寝る間も惜しんで勉強した偉大な読書家でもあったことを実感できました。
目を患ってから、博物館や美術館が苦手になって、足が遠のいていましたが、実際に来てみると、感じることの大切さもあらためて実感できました。
この一郭は、新緑の街路樹が高く繁り、学校と復興公園に隣接した文教地区にあり、本当に朝の空気と木漏れ日が心地よく、老上海に戻ったような時間を過ごせました。記念館を出た時に、観光客を乗せた大型バスが入ってきたので、今日は早起きして得しました。
昼まで部屋で一休みして、午後再び瑞金路の門診部へ。ちょうど、わたしの順番が回ってきたところだったので、ほとんど待たずに治療を受けることができました。病友たちとも顔見知りになり、目のまわりに針を打たれて目も開けられず、身動き取れない私の手を引いて坐らせてくれたり、カバンを持ってくれたりと、またまた、お世話になりました。
治療後、近くのスターバックスで体を休め、今度は瑞金路を南に少し行った、門診部から5分くらいのところにある「田子坊」という里弄へ行ってみました。画廊やアトリエ、カフェなどが集合した、いわゆる芸術村になっています。三月には、上海駅の南西にある莫干山路の倉庫街を改造して作ったM50という、芸術村へ行きましたが、田子坊は老上海の民家をそのまま使っています。欧米人だけでなく、中国人の若者も来ていました。
May 05 上海-休日の中山公園にて-200804, Shanghai, Zhongshan Gongyuan4月27日(日)、昨日の針治療の影響が残りつつも、昨晩はぐっすりと眠ることができました。
治療はおやすみなので、二胡を担いで近くの中山公園へ。
おやすみなので、たくさんの人出で賑わっています。いつもの小高い丘の石の台に陣取り練習開始。いつものように、誰も寄っては来ません。
一時間ほど弾いて、ちょっと一息していると、目の前の茂みから男女二人が言い争いをしながら飛び出してきて、散策路の真ん中で言い合いをはじめました。いやはや、凄まじい。延々と続けて、また茂みに入って、言い争いの声だけが響いていました。
ふとうしろに人の気配。ニコニコ満面の笑みを浮かべたおばさんが近づいてきました。
「看看相!」と言って、私が丁寧に断ると、「おまえの人相はとっても福があるから、占ってやるよ」。「では、私は健康に心配ないヨネ」と聞くと、「健康は問題ない。もっと詳しく占ってやるよ」というので、ハハハと笑ってしまいました。「あっちの方で、夫婦喧嘩しているカップルがいたから、そっちの方が必要だね」というと、おばさんはニコニコしながら離れていきました。
「二泉映月」のフルバージョンを弾くのにてこずっていると、今度はかなり年配の老先生が目の前に仁王立ちになって、怖い顔してずっと私の演奏を聞いています。我慢できずに「貴方も弾かれるんですね」と、恐る恐る尋ねてみると、何も言わず突っ立ったまま。しかたないので「まだ7ヶ月なのでお聞き苦しいところはお許しを」といって、かまわず練習を続けました。最後まで何も言わずじまい。もしかすると、街の二胡弾きだったかも。
昼が過ぎて、だんだんと人出も増えてきた頃、今度は、5歳くらいの男の子が石段を上がってきて、ためらうことなく私の二胡めがけて手を伸ばしてきました。「君は弾けるの?」「うん、できる。」後からお父さんが「とんでもない、弾いたことないだろ」。これも、笑うしかない。二胡に飛びつきそうな勢いなので、「教えてあげるけど、約束守れるかな?」「うん、できる」「おじさんの言うとおりにできるかい?」「うん、できる」横で、父親が心配そうにしていたが、一人っ子のワガママに閉口しながらも、ドレミを弾かせてやりました。「では、また次ね」といって、無事二胡を確保。男の子は父親にしっかり手をつかまれて石段を降りていきました。
大いに疲れたので、部屋へ戻って昼寝をしていると、知り合いから夕飯のお誘い、チーズケーキを手土産に家にむかいました。
彼女は私の体調を気遣って、お粥を作ってくれていました。しばらくしてご主人も帰宅、先ほどの中山公園での出来事を話しながら、楽しく夕飯をご馳走になりました。
上海-針治療と病友と中国人-200804, Shanghai4月25日から30日まで、上海へ行ってきました。目的は、針治療。
26日(土)は、石門一路の診療所へ。午後からの診療なので、10:30頃、南京西路まで地下鉄で行き、近くの王家沙で、蟹粉小籠包10元と辣肉湯面10元で昼食を済ませ、11:30ころ診療所の受け付けへ、受け付け順番待ちの番号札が見つからず、出直し、12:30頃行くと、番号は97番。顔見知りの病友と挨拶して、番号を見せあって、片隅で待っていると、見知らぬ男性が寄ってきて、私の番号を聞いてくる。97番と言うと、「これをやるよ」と言って、28番の番号札をくれた。なぜ私にくれるのか尋ねると、向こうの方に坐っているおばちゃんを指差して、「あのおばちゃんが、おまえに番号札をやってくれと言った」。番号札を余分に取ったり、取ったが診察に来れなくなったりした人の分が余って、それを病友たちが譲り合っているのだ。他所では、こういう場合、お金のやり取りがあったりするそうだが、ここではそんな勘違いな御仁にはめったにお目にかからない。ハズだったが、28番をもらってから、すぐに「20番」をもった男性が寄ってきて、「20元でどうだ」と言ってきた。いやはや……。ちなみに、ここでは、本当にごくまれな事だ。
13:15に診察が始まって、眼科の診察室へ。私は眼科の14番目、ずいぶんと早い方だ。細長い12畳位の診察室に医師2名と患者十数人が入り、壁に沿って置かれたソファーには所々に箱形の電流装置が置かれている。片隅で針を打ってもらった者は、ソファーに座って約三十分間針に電流を流しながら治療を受けるのだ。
14:30頃、私の前のおばちゃんが針を打ち終わると、先生がわたしのところへ来て「申し訳ないが、割り込みが入ったので、もう少し待ってくれ」と言いに来た。私の様子を見に来てくれた中国人の友人が説明してくれたが、中国の病院では、受け付け時に支払う料金によって、その日の診察の順番を前倒しにすることができるということだった。ここは難病治療を専門に行なう特別な診療科で保険が適用されず、もともと受け付け費用が高い。私が払った受け付け費用は50元、それ以外に100元、150元、200元の受け付け費用の別がある。私のは最低料金なので、ただただ待つのみ。
先ほどの友人曰く、以前、別の病院で、華僑の患者が150元の受け付け費用を支払い順番を待たずに診察を受けた上に、他の人よりも念入りに診察治療するように医者に要求し、さらにお金を支払うと言ったとき、その老医師は、ハハと笑って、「高い受け付け費用は、順番を待たずに他人の前に並ぶから高い、でも、治療の内容を左右するものではないよ」と言いきったという。
医師の配慮もありがたかったが、私の前の割り込み患者が終わると、他の病友たちが、口々に「次はおまえだ」と声をかけてくれて、目が痛くてうつむいていた私にはありがたかった。中国の庶民は、一旦信用した相手には本当に良くしてくれる。さらにその相手が、困難になったり、弱みを見せたりすると、黙っていられずにすぐに手と口を出して世話してくれる。ほんとうにありがたい。
割り込んで来たのは、小学生の付き添いで来た若いお母さんであった。先生が謝りに来たのに、その母親からは何の挨拶もなし。これも現代中国を象徴している。他の病友たちも、その母親とほとんど会話がない。年齢が若いからというより、生活環境の違いから来るのだろう。この診療所へ来ることのできる患者は、経済状態が良いか、これまで政府機関や教育機関で働いていて退職後の保障が行き届いている人が多い。
私の友人は、帰りの車の中で「経済優先の弊害だ」と言いきった。多くの病友たちも同様の感想を持っていたようだ。すなわち、「ただの金持ちで、礼儀しらずのコンコンチキだ」と言っているのだ。
なぜか、かつて大した人物でもないくせに、外国人であることだけで、特別扱いを受けてきた自分のことを言われているようで、簡単に相槌は打てなかった。
なるほど、病友たちが、親切に私の面倒を見てくれるのも、私の病歴を知り尽くし同じ境遇と知っていることと、普通の料金を支払い唯々待っている普通の庶民と知っているからだった。
病院に限らず、かつて、外国人は専用の窓口で、中国人の何倍もの料金で、特別待遇を受けられた。20年前は、親しい友人と同行していても、外国人だけ別の窓口に並び、友人と離れ離れにさせられた。当時は衛生面の問題もあり、お金で解決せざるをえないことも承知していた。だが、そのために友人との心の距離を埋めることも難しくなっていた。いまでは、外国人料金というのも無くなり、外国人と言えども料金を見て、自分の懐具合を考えて、行く場所を決めなければならなくなった。
かつての経験から考えると、今日の病友たちの対応は、私には心地よい。日本人だからと言って過剰に反応するのではなく、私の収入より、私の病状を詳しく聞きたがる。他人に私の事を紹介するとき、私の国籍や職業より、「こいつはいい奴だ」と紹介してくれる。
この日は、一か月ぶりの針治療だったので、身体が慣れず、ずいぶんと疲れた。しかし、前の晩には頓服を飲むほど痛んだ眼底も、針を打ったお陰で、ピタリと痛みが治まった。
これも、親しく家族のような気遣いと軽快な口調で会話してくれる病友たちの心遣いと、そのやり取りを唯々静かに聞きながら、冷静に針を打ち続ける医師のおかげだ。
April 14 二胡と阿炳と針治療 2008年3月3月18日から28日まで、上海で針治療を受けてきました。 四回目の網膜剥離の手術後、眼痛が続き、眼圧も上がり、日本ではいろいろと治療を試しましたが、眼痛に堪えきれず、中国の知人の紹介で上海の中医医院で、眼底治療専門の医師の診察と針治療を受けました。
一般の患者さん同様、順番を待ち、受付を済ませ、先生の診察を受けてから治療始まりました。待ち時間を合わせて、約四時間弱でした。 事前に、私の病歴と症状を中国語で書いた病歴カルテを用意し、医師に読んでもらったので、診察は五分足らずで済み、すぐに針治療について説明がありました。 そのあと、すぐ受付窓口へ戻って、五回分の針治療の診療費用とその他諸手続費用(一般の患者と違い、医療費全額自己負担、治療費は他の人と同額でした)を支払って、診察室に戻り、針治療の順番待ち。
針治療はまず先生が針を打って、そのあと待合室で助手の医師が針先に電極をセット、約三十分間、ピクピクと顔面をひきつらせながらじっと我慢。痛そうな恰好ですが、刺激的な痛みはほとんど無く、穴位(ツボ)の奥の方がグーと固まって、身体の機能が止まっているような感覚です。
鍼を抜いた後は、助手の医師が右耳にツボ指圧用の小さな粒月の絆創膏を張ってくれます。 さらに、別の日には梅花針という治療器具で、目頭のところを約五分間コツコツとたたいてくれました。
今回の針治療は期間が短いものでしたが、たいへん効果がありました。この二年間、眼痛で良く眠れませんでしたが、針治療の後は、ぐっすり眠れて、朝がきても気がつかないくらい眠れるようになりました。
針治療の後、約二週間が経ちますが、痛み止めの頓服を飲むことも無く、激しい痛みの回数が激減しました。感謝!
私は以前から、二泉映月のファンで、前回の網膜剥離の手術で入院したときも、ずっと二胡の曲を聞いていました。その時は、たいして阿炳のことを知りませんでした。 退院当日、すぐ再入院して再手術し、退院後も激しい眼痛以外に身体のいろんなところに影響がでて、みんなに迷惑をかけてしまいました。 昨年夏に治療のため中国を訪れたとき、阿炳のお墓にお参りしました。そして、阿炳が失明してからも曲を作り、現在も多くの中国人が彼の曲を聞いていて、知り合いの老母は病身ながら、毎晩聞いて心癒されていることを知りました。 ちなみにこの老母は、私の演奏を聴いて、ほとんど喋るのが辛いのに、「あ、音が跳んだ!」とうれしそうに私のひざを突いていました。 今回は、その阿炳の二泉映月の音色に近づくため、阿炳の曲を弾くための二胡を入手しました。 といっても、「二泉琴」ではなく、普通の二胡の皮が緩いものと絹弦を買いました。 治療の無い日は、近くの中山公園へ出かけ、見晴らしのよいところに陣取って、二泉映月を練習していました。 誰も気にもかけず、知らん顔なので、こちらも思う存分、へたくそなりの練習をすることができました。 と、そこにサングラスの怪しげな老先生が立ち止まって、こちらを見て近づいてきました。
そして、サングラスをおもむろに外して、私の顔をじっくりと眺めてから、「やっぱり、おまえか!」と叫びました。 なんと、昨年夏に練習していたときに毎日隣で体操していたおじいさんでした。私の二胡の音色に聞き覚えがあったそうな。 しばし、再会を喜び合いました。
公園では、いろいろな練習をしている人に出会います。
この日は、天気のよい休日で、露店商や家族連れがたくさん出ていました。
若いカップルが連れてきたシベリアンはスキーの二ヶ月目の子犬が飛びついてきました。しつけはされていませんね。 この後、公園で犬の散歩はダメと、係の人に怒られました。
中山公園の入口を入ったところのサクラが七分咲きでした。 多くの人々が立ち止まって眺めたり、記念撮影をしていました。
桜の花の向こうに広がる青空には、中国の凧が気持ちよさそうに風に任せて飛んでいました。 January 30 中国はもうすぐ春節 20080130 SHANGHAI中国では、2月7日の春節に向けて、町中がお正月準備で大忙し。
こちらも仕事に追われて街に出る機会がなかったので、ホテルの中で見つけたささやかな迎春の風景を紹介します。
アルバム追加しました→中国はもうすぐ春節 20080125
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